「遺体とともに生きる家」今を暮らす者、あるべき姿・・・春秋 八葉蓮華

 詩人の田村隆一は、シ人の出ていない家に文化はないと言っていたそうだ。人がシねば愛用の品が残る。においがしみつき、ふとした折に生前の姿形が立ちのぼってもくる。その重なりが家の歴史を築いていく。そんな意味合いだろう。

 「新しい家はきらいである……シ者とともにする食卓もなければ/有情群類(うじょうぐんるい)の発生する空間もない」。田村は「十三秒間隔の光り」と題する詩でこううたった。有情群類とは「生きとし生けるもの」を指す語だが、詩人は、今を暮らす者が亡き者とともに生きる家を、あるべき姿として頭に描いていたに違いない。

 それもこれも、シ者をみとり、しっかり送り出しての話である。111歳。東京都で最高齢のはずだった男性とみられるミイラ化した遺体が、家族と同居する自宅で見つかった。シんだのは30年以上前らしい。この間、足立区から長寿お祝いの金品をもらい続け、教員だった妻の遺族年金も受け取っていたという。

 「シ者とともに生きる家」とはとても呼べぬ不自然な物語の謎解きは、そばにいた家族に聴くしかない。ただ、家の見取り図を見て遺体の足元に将棋盤が置いてあるのが気になった。愛用の品だったのだろうか。もし盤に向かう故人が家族の記憶に残っていれば。それで十分「家の文化」を紡ぐことはできたのに。

春秋 日本経済新聞 7/31
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