コンガラカッて世が変わっていく・・・春秋 八葉蓮華

 100年前の明治44年はまだ「開化」という言葉がよく使われていた。夏目漱石が講演で、義務に対しては活力を節約し、道楽の方で活力を消耗しようとする、二つがコンガラカッて世が変わっていくのが開化だなどとしゃべっている。

 だから汽車、電話、自動車が発明され、浮いた活力は釣りや囲碁に――「開化は人間活力の発現の径路(けいろ)である」とは少し理屈っぽいが、漱石はそう定義した。そして、横着にもぜいたくにもこれでよしという限りがないから、開化が進もうが楽になどならず、競争はますます激しくなる気がする、と見抜いていた。

 そんな予言をかみしめつつ迎える100年後の新年である。人も国もいつまでたっても開化の途上、どのみち競争から逃れられない。ならば、こんがらかりを解きほぐして、ことしこそかなえたい横着、ぜいたくに思いをはせたくなる。ちょっとの間でもそうした気分に浸れるのが、正月の変わらぬ値打ちだろう。

 総理大臣が毎年代わる国だ。また1年、予想もできぬことがいろいろ起きるに違いない。希望ならいいのだが、むしろ不安が頭をもたげる。その滑り出し、きのうから年明けにかけて、列島は寒さ厳しく荒れ模様の地方も多いという。そうとて元日の空は格別である。「初(はつ)み空(そら)頭蓋のなかも透き通る」(福原十王)

春秋 日本経済新聞 1月1日
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全国の街から個性が消えていく、競い合いが特徴ある街を生む・・・春秋 八葉蓮華

 東京・日本橋に完成したばかりの高層オフィスビル。1階玄関を入るとかつおだしの香りが漂い、食欲をそそる。この街を本拠地とする三井不動産が手がけた新築ビルの顔となったのは、この地で創業300年を経たかつお節専門店だ。

 昔は多くの家にカンナのようなかつお節削り器があり、子供がせっせと削った。今はたいていパック入りを買う。「本来は削りたてが一番なんです」「そうなのよね」。年配の母親と店員の会話を、若い娘さんが感心した顔で聞く。店内では職人による削りの実演も。だし料理を買える一角には行列ができている。

 物を売りつつ文化を伝え、市場を開拓する。小売店の本来の姿だろう。隣の刃物専門店では、職人が店内で包丁を研ぐ。その姿や並んだ刃物を外国人の集団が珍しげに眺める。江戸情緒を感じさせる街並みをつくり、外国からの観光客も呼ぶ。開発した会社のそうした狙いは、とりあえず順調に滑り出したようだ。

 老舗かつお節店があるのは江戸時代、魚河岸のあった歴史ゆえ。近くの丸の内で「明治」を前面に出す三菱地所への対抗心も垣間見える。競い合いが特徴ある街を生むなら喜ばしい。全国の街から個性が消えていく。よそをまねるより、歴史や個性を生かした方が、来訪者にも住む人にも楽しい場になりそうだが。

春秋 日本経済新聞 10月30日
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ポスト「42年組」は東アジアに新風を吹き込めるだろうか・・・春秋 八葉蓮華

 少女漫画の世界に「24年組」という言葉があるのを、ご存じだろうか。萩尾望都さんや竹宮恵子さん、大島弓子さんら、1970年代に圧倒的な新風を吹き込んだ作家たちを指す。呼び名の由来は、昭和24年前後の生まれだったことだ。

 どんな世界でも、人材の「当たり年」と呼びたい年代がある。大相撲ではかつて、横綱北の湖関ら昭和28年生まれの力士たちが「花のニッパチ組」ともてはやされた。同じく北勝海関ら同38年生まれは「花のサンパチ組」。会社や役所でも、特定の年次に優秀な人材がそろっていると感じることが、少なくない。

 目を政治に転じると、東アジアでは1942年が当たり年だったと言えるかもしれない。よきにつけあしきにつけ、この年に生まれた政治家たちは大きな影響力をふるってきた。日本では小泉純一郎元首相と民主党小沢一郎元代表。中国では胡錦濤国家主席温家宝首相。北朝鮮金正日総書記も42年生まれだ。

 大相撲や少女漫画の世界と違い、彼らに対する評価は人様々だろう。少なくとも、この地域に色濃く残る冷戦構造の打破には成功していない。北朝鮮で世代交代の動きが表面化し、中国でも胡主席の後継候補、習近平国家副主席がいよいよ台頭してきた。ポスト「42年組」は東アジアに新風を吹き込めるだろうか。

春秋 日本経済新聞 10月19日
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耳を澄ませば足音が聞こえる・・・春秋 八葉蓮華

 目をとじて、だるまさんがころんだ、と早口で言う。そのわずかな時間に相手は移動し、目を開くたびに形を大きくして近づいて来る。今年の秋は、そんな跳躍の足どりでやってきた。ひと雨ごとに空気が澄み、雲が高いことに気づく。

 季節の移りは連続的で滑らかとは限らない。動いては止まり、気をそらせば、またいつの間にか変わっている。太陽が低くなると、日本列島の東側で、米国につながる太平洋の大気がふと軽くなる場面がある。西側のロシアと中国の上空では重いシベリア寒気団が、勢力を伸ばすチャンスをじっとうかがっている。

 日本をとりまく外交情勢も、気がつけば季節は秋である。尖閣諸島をめぐる摩擦で民主党政権があたふたしている間に仲が悪いはずの中国とロシアが対日圧力で声をそろえ、中国はじわりと東シナ海に一歩を踏み出してきた。中間選挙で忙しい米国のオバマ政権も、さすがに日本が心配になってきたようにみえる。

 だるまさんが、と数える間も、耳を澄ませば足音が聞こえる。鬼の耳が敏感だと、不思議と相手にも「手ごわいぞ」と分かるものだ。うかつに近づけないから、顔を上げたら目の前に迫っていてビックリ、と慌てることもない。秋の訪れをもっと早く感じ取っていればと、我が身の感度を恥じつつ冬支度を考える。

春秋 日本経済新聞 9月30日
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若者離れ 人口が減っても上がる「長寿県」数字と結論との間で・・・春秋 八葉蓮華

 38年ぶりに首位交代。そのニュースにホウと思い、しばらくしてアレッと感じた。敬老の日を前に、毎年厚生労働省が人口10万人あたりの100歳以上のお年寄りの数を都道府県ごとに発表する。今年は常勝の沖縄をおしのけ、島根が74.37人でトップだった。

 メディアによっては島根を「長寿県日本一」などと書いた。なるほど神様に縁深い土地だと感心したのだが、考えだすと不思議だ。果たしてこのデータは何を言わんとしているのか、よく分からないのである。厚労省に聞いても、「長年目安として出していますが、何の目安かと言われても……」と歯切れが悪い。

 沖縄は去年に比べ人口が6千人増えた。島根は7千人減り、その分お年寄りの割合が増えた。逆転の一因はそこにある。長寿県といえば住民が長生きできるとの意味だろうが、この数字、例えば若者が県を離れて人口が減っても上がる。喜ばしいことではなかろうに。そう言いたくもなる。

 「数字と結論との間ですりかえが行われていないか注意する」。統計を読む知恵を説いたロングセラー「統計でウソをつく法」にこうある。島根に始まり埼玉の18.75人で終わる数字が何を意味するのか。埼玉の人はあまり気にしなくていい。5年前のデータでは、平均寿命は女性は42位だが男性を見れば15位だ。

春秋 日本経済新聞 9月16日
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土壇場の駆け引きの末に、おかしな妥協で落着しなかったのに救いを見いだす・・・春秋 八葉蓮華

 トロイカトロイカ民主党の面々が口走っていたから、有名なロシア民謡を思い出した人も多いだろう。3頭立ての馬そりが、「雪の白樺(しらかば)並木……」と軽やかに進んでいく、あの歌だ。かようなスリートップ体制が党の「原点」らしい。

 代表選で菅直人首相と小沢一郎前幹事長が激突するのを避けようと、党内でにわかに響きわたったトロイカだ。鳩山由紀夫前首相を加えた3頭立ての挙党態勢を、というわけだがご都合主義にもほどがある。さすがに首相も金看板の「脱小沢」の値打ちを悟ったか、土壇場の駆け引きの末に両者の対決が決まった。

 おかしな妥協で落着しなかったのに救いを見いだすにせよ、これほどまでに国民不在、政策そっちのけの騒ぎもそうそうはない。ことのすべてが密室談合で進み、妙に精力的だったのは表舞台から身を引いたはずの鳩山氏だ。そもそも、一騎打ちといっても片方は強制起訴されるやもしれぬ人なのだから恐れ入る。

 ところで、トロイカという歌はじつは「大変悲しいバラード」だと、長田暁二編「世界抒情歌全集」に教えられた。本来の歌詞は恋人を奪われた御者の悲嘆をつづっているという。こんどの代表選の後に嘆き悲しむのは首相か小沢氏か。いや、政治をこういう人たちに弄(もてあそ)ばれる国民の思いにこそ、悲歌が重なろう。

春秋 日本経済新聞 9月1日
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「挙党態勢」信ずるところを互いにぶちまければいい・・・春秋 八葉蓮華

 フショウの身でありますけれど……。代表選に打って出る民主党小沢一郎さんが決意を語る場面を、きのうは朝からテレビで見た。負傷の身? ああ、スネに傷ということかと納得しかけたが、むろんこれは「不肖」という謙譲語だ。

 いつも陰でうごめいている風情の人が、とうとう表舞台に出てくる。菅直人首相が「挙党態勢」を拒んだのが許せなかったらしい。政界では党内の対立が抜き差しならなくなると大騒ぎだが、このさい国民の前で信ずるところを互いにぶちまければいい。小沢一郎という政治家の本当の力も分かろうというものだ。

 とはいえ、異様な光景というほかない。「政治とカネ」の問題を抱えた小沢さんは、強制起訴にもつながる検察審査会の議決を控えての出馬だ。それだけでも道理に合わないが、もし代表に選ばれ、首相になった場合は憲法の規定で訴追を逃れることもできる。非難は高まり、負傷の身がますます痛むことだろう。

 さて、小沢さんが神妙に口にした「不肖」とは愚か者のこと。もともとは父親や先生に「似ていない」という意味だ。たしかに、これほどあからさまに事を構えるのだから誰かに似ているはずもない。ちなみに不肖には「不運」という意味もある。こちらはちょうど1年前、政権交代に夢を託した有権者の嘆きだ。

春秋 日本経済新聞 8/27
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