コンガラカッて世が変わっていく・・・春秋 八葉蓮華

 100年前の明治44年はまだ「開化」という言葉がよく使われていた。夏目漱石が講演で、義務に対しては活力を節約し、道楽の方で活力を消耗しようとする、二つがコンガラカッて世が変わっていくのが開化だなどとしゃべっている。

 だから汽車、電話、自動車が発明され、浮いた活力は釣りや囲碁に――「開化は人間活力の発現の径路(けいろ)である」とは少し理屈っぽいが、漱石はそう定義した。そして、横着にもぜいたくにもこれでよしという限りがないから、開化が進もうが楽になどならず、競争はますます激しくなる気がする、と見抜いていた。

 そんな予言をかみしめつつ迎える100年後の新年である。人も国もいつまでたっても開化の途上、どのみち競争から逃れられない。ならば、こんがらかりを解きほぐして、ことしこそかなえたい横着、ぜいたくに思いをはせたくなる。ちょっとの間でもそうした気分に浸れるのが、正月の変わらぬ値打ちだろう。

 総理大臣が毎年代わる国だ。また1年、予想もできぬことがいろいろ起きるに違いない。希望ならいいのだが、むしろ不安が頭をもたげる。その滑り出し、きのうから年明けにかけて、列島は寒さ厳しく荒れ模様の地方も多いという。そうとて元日の空は格別である。「初(はつ)み空(そら)頭蓋のなかも透き通る」(福原十王)

春秋 日本経済新聞 1月1日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge