閉塞感のある今「まいた種」改革は後で生きてくる・・・春秋 八葉蓮華

 江戸時代、現在の滋賀県から全国に広がった近江商人からはいくつもの大商家が出た。その勢いも1800年頃(ごろ)からは陰り始めたといわれる。各地に織物、しょうゆなどの産業が興り、生産者の中から新興商人が台頭してきたためだ。

 新しいライバルの出現に近江商人は改革に乗り出す。寝具販売の西川グループの源流で、当時は蚊帳や畳表を扱っていた西川家は7代目の利助が次々と手を打った。「勘定帳」によって江戸や京都の店の在庫、利益管理を徹底した。利益の3分の1を奉公人に分配し、やる気を引き出す「ボーナス」制度も設けた。

 それでも新興商人の勢いが勝り、7代目は反転攻勢とまではいかなかったようだ。「西川400年史」は7代目から8代目にかけての時代を「全般的に営業は停滞的」と記す。「天明の大飢饉(ききん)」の混乱も痛手だった。改革に取り組んでも需要の大幅減に効果がかき消されがちで、閉塞(へいそく)感のある今の経営者と重なる。

 その後の西川家は9代目で売り上げが大いに伸びた。10年間で2倍になった店もある。業績が回復し出すと奉公人へのボーナスが増え、それが彼らの士気をさらに高める好循環に入ったらしい。7代目のまいた種が花開いた形だ。苦しいときの改革は後で生きてくる。7代目は西川家「中興の祖」といわれている。

春秋 日本経済新聞 7/19
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