長い老後をいきいきと過ごしたいと山に足を向けるシニア・・・春秋 八葉蓮華

 それは私の心を強く捕えた。あれに登らねばならぬ――。作家の深田久弥は北海道の大雪山系トムラウシを遠望してそう決心したという。名著「日本百名山」の一節だ。「威厳があって、超俗のおもむきがある。あれに登らねばならぬ」

 ツアーに加わった人たちは、そんなロマンを求めてこの秀峰に挑んだのかもしれない。愛知、静岡、広島、宮城と全国から集まったシニア世代の男女だ。縦走路では咲き乱れる高山植物に歓声を上げたことだろう。若いころを思い出しもしただろう。心躍るその山行が吹きすさぶ風の中で大規模遭難へと暗転した。

 2008年の「簡易生命表」によると、日本人の平均寿命は前年よりまた延びている。長い老後をいきいきと過ごしたいと山に足を向けるシニアも少なくないようだ。しかし、そこに潜む災厄にもしっかり目を向けなければならない。昨年の山岳遭難によるシ者・行方不明者は281人。その9割が中高年なのだ。

 トムラウシは本州なら3000メートル級にあたる厳しい環境だという。ツアーを催した旅行会社に、この威厳と超俗の気配を漂わせる山への畏(おそ)れはあったのだろうか。同行のガイドはなぜ判断を誤ったのだろうか。「登らねばならぬ」。高ぶる気持ちの前に「引き返さねばならぬ」と思い定める勇気があったなら……。

春秋 日本経済新聞 7/18
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