「水俣病の悲劇」司法判断にも背いて幅広い救済をためらい、迷路に追い込んで・・・春秋 八葉蓮華

 夕景の不知火海を飽かず眺めていたことがある。九州本土と天草諸島に挟まれたこの内海は日が落ちるころがひときわ美しい。赤々と染まる鏡面のような海、青黒くたたずむ大小の島影。やがて、それもこれも夜の闇に溶け込んでいく。

 知らなければ、ここで水俣病の悲劇が起きたと誰が思うだろう。チッソの工場が垂れ流し続けたメチル水銀によって沿岸の多くの人たちが病に侵され、なお災厄の終わらない苦難の地である。公式確認から延々53年。症状を訴えながら認定されない3万人もの人々の多くが今もこの海とともに暮らし、救いを待つ。

 きのう、自公民3党が救済法案の成立に合意した。症状を柔軟に認めて対象を広げる一方で、救済資金を確保するためにチッソを分社化するという。大きな前進には違いない。しかし原因企業の責任があいまいになるとの反発もある。同じ苦しみを背負う患者たちの心をかくも乱れさせる水俣病の罪深さだろうか。

 司法判断にも背いて幅広い救済をためらい、被害者を迷路に追い込んできた行政の不誠実をあらためて思う。こんどの立法でより多くの人が救われるとしても、この惨禍を直視してこなかった罪が消えるわけではない。何事もなかったように穏やかに島々を浮かべる不知火海が、痛恨の歴史と現在を見つめている。

春秋 日本経済新聞 7/3
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