北方戦線の悲劇「樺太1945年夏 氷雪の門」北方領土を巡る・・・春秋 八葉蓮華

 樺太(からふと)と呼ばれたサハリンは、かつて南半分が日本の領土だった。戦前、「愛の逃避行」と称された女優の岡田嘉子と演出家の杉本良吉のソ連亡命も樺太経由だった。第2次世界大戦の末期には、約40万人の日本人が暮らしていたという。

 空襲はない。食糧事情も本土よりまし。つかの間の平穏は終戦間際に暗転する。ソ連が日ソ中立条約を破棄し、8月9日に対日参戦。南樺太侵攻は15日の終戦後も続く。「皆さん、これが最後です。さようなら」。真岡(現ホルムスク)郵便局では、9人の女性電話交換手が集団自決した。8月20日のことである。

 その史実を描いた日本映画「樺太1945年夏 氷雪の門」が現在、劇場公開中だ。74年の制作だが、ソ連側の反発で長らくお蔵入りになっていた。あまり知られていない北方戦線の悲劇がひしひしと伝わる。そういえば、択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島ソ連軍が上陸したのも、8月末から9月初めだった。

 まさか、占拠を正当化するつもりでは。ロシアが9月2日を「第2次大戦終結の日」なる記念日にした。日本が降伏文書に調印した日だ。戦後65年。退役軍人をたたえるためだというが、「対日戦勝記念日」の色彩が濃い。領土を巡る強硬論の表れか。指呼(しこ)の間にある北方領土は、ますます遠くなってしまうのか。

春秋 日本経済新聞 8/3
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