一般市民の感覚を裁判に反映させる「裁判員裁判」実際に市民が判決に参加する・・・春秋 八葉蓮華

 有罪が確実視された被告に対し、証拠などを子細に検討した陪審員らが無罪を言い渡す。そんな筋書きの米映画「12人の怒れる男」は、日本の人気作家によるパロディー作を生んだ。「12人の浮かれる男」と「12人の優しい日本人」だ。

 筒井康隆作の「浮かれる」は明らかに無罪の被告を「無罪じゃつまらない」と無理やり有罪にするブラックコメディー。三谷幸喜作「優しい」は多数派にすぐなびく陪審員らの付和雷同ぶりが苦い笑いを誘う。いずれももし陪審員制ならという仮の世界を気軽に楽しめたが、今や実際に市民が判決に参加する時代だ。

 一般市民の感覚を裁判に反映させるのが新制度の狙いの一つだという。前例にとらわれず、臆せず質問し、常識に照らしてみて考えをどんどん述べる。そうした役割を期待されているのだろう。右のようなパロディーが広く受けたのも、一般市民が裁判に参加できる米国への羨(うらや)ましさが底流にありはしなかったか。

 初の裁判員裁判で判決を話し合う評議がきょう開かれる。一挙手一投足が注視される中で判断を迫られる負担は大きかろうが、映画に負けず、思い切り意見を戦わせてほしい。今後審理に参加する市民は年間1万6000人を超す見込み。負担を最大限に生かすため、経験をできる限り皆で共有する工夫も進めたい。

春秋 日本経済新聞 8/5
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