命の重さ、尊さ「いのちを生きる」現代人の心を見つめ直すことはできないか・・・春秋 八葉蓮華

 東京・秋葉原は宗教に縁の深い町でもある。近くには神田、日本橋、大手町周辺の総氏神神田明神があり、孔子をまつる湯島聖堂がある。仏教学の泰斗、中村元がつくった研究教育機関、東方学院もすぐだ。この町で2年前の6月、無差別サッ傷事件が起きた。

 神道儒教と仏教。一緒になって現代人の心を見つめ直すことはできないか。それで年1回の神儒仏合同シンポジウムが始まった。いくつかの宗教を結ぶこうした催しを実現するのは思うほど簡単でないらしい。それでも先日、「いのちを生きる」と題した第2回には80人ほどが集まった。

 話を聴くと門外漢でも何かを考えるよすがになる。だからこそ続けることが大切なのだろう。今回、神道研究者から「寄(よ)さされた命」との言葉を教えられた。辞書に頼れば「神が人にお任せになった命」と解釈できる。本来の意味はもっと深遠で、現代語には直せないというが、命の重さ、尊さは訴えかけてくる。

 自サツ防止活動を続ける僧侶の話はもっと具体的だ。「来るはずのない息子とは知りつつも車の音にベランダに駈(か)け」。実子が何年間も訪ねてこない喜寿の女性の歌だという。一方で生シ不明、行方不明の高齢者が、もう一方でふるさとへ向かう長い車の列がニュースになっている。車が着かぬ家の姿が頭をよぎる。

春秋 日本経済新聞 8/10
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