目に映る光、電球から蛍光灯を経て、発光ダイオード(LED)・・・春秋 八葉蓮華

 本紙「私の履歴書」で先日、ユニ・チャームの高原慶一朗会長が紙おむつ事業進出のころを振り返っていた。欧州メーカーに視察団を派遣、飛び込みで見学できたがメモは禁止。社員は製造機を目に焼き付け、トイレに入っては紙に仕組みを書き記したそうだ。

 先を走る者から、とにかく懸命に学ぶ。似た経験を持つ技術者は多かろう。明治の半ば、電球の国産化を目指す藤岡市助氏が、英国から製造機を取り寄せた時もそうだった。東京電灯(現・東京電力)の社宅の一室で組み立てたものの、使用説明書もない。「その苦心は並大抵のことではなかった」と記録にある。

 藤岡氏は大学で教鞭(きょうべん)をとりつつ東京電灯の技術顧問を兼務したが、電気事業に全力を注ぐため教職を辞める。ここで電球の試作に取り組むうちに「このような重要な仕事は独立した経営にしなければ発展しない」と自らも出資、今で言うベンチャー起業家になった。ITブームのころのシリコンバレーを思わせる。

 このとき設立した白熱舎が東京電気となり、後に芝浦製作所と合併し東芝となる。その東芝が今週、120年間続けてきた白熱電球の製造を終えた。電球から蛍光灯を経て今後は発光ダイオード(LED)へ。目に映る光は変わっても、技術者たちの心にともる炎は、昔も今も変わらない。

春秋 日本経済新聞 3/19
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