1滴の毒が見えぬままサッと広がってしまうような怖さ・・・春秋 八葉蓮華

 あまり使われなくなったが、「米びつをかじる」という言葉がある。「少しはその道のことをわきまえている」といった意味だ(日本国語大辞典)。かじりまくったはいいが、わきまえたのはひたすら己の米びつを潤す道だけだったか。

 事故米の不正転売事件できのう、米粉加工会社「三笠フーズ」の社長、元顧問らが逮捕された。農薬で汚染され工業用糊(のり)にしか使えない輸入米を食用の米と混ぜて売る。安く仕入れた事故米が食用に化け、値段は何倍にも跳ね上がる。「もうけることを考えるのは天才的だった」という元社員の社長評が寒々しい。

 問題の米は酒になり、菓子になり、給食に紛れ込んだ。当たり前だ。日本ではひとを「米の虫」と言い、米の飯とはいくら食べても飽きないものの例えである。舎利(仏の骨)になぞらえてきたのも、米が特別だからだろう。事件には、水に落とした1滴の毒が見えぬままサッと広がってしまうような怖さがある。

 それでも、不届き者の悪行は防げたと誰もが思っている。「検査態勢が万全ならば起こらなかった」と石破農相は謝ったという。そうだろう。96回も三笠フーズに立ち入って何の不正も見つけられなかった農水省の検査は、検査の名には値しないのだから。食べるだけの役立たず。これを「米食い虫」と言う。

春秋 日本経済新聞 2/11
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